October 2009
2008-12-09 (via gkojay) (via takaakik) (via dannnao) (via fukumatsu)
彼女は、twitterを非公開にしていた。
クローズドで、気の合う友人や仕事仲間にだけ公開し、
なんでもないことを話し合ったり、他愛も無い愚痴をこぼしあったりしていた。
長文を書かないでいいので気軽につぶやき、どうでもいい発言にレスがくるのが楽しかった。
同じテレビを見ている人と、テレビへのツッコミだけでタイムラインを埋めていくのが楽しかった。
地震が起こると、まっさきにtwitterをチェックした。
著名人の訃報を、twitter経由で知った。
そんな日がしばらく続いた。
ある時期のこと。
勝間和代やら国会議員やら、著名人が次々にtwitterをはじめていった。
その流れで、「微妙に身近」な人もtwitterをはじめた。
仕事関係の人も、旧友も、嫌いな人もtwitterを始めた。
自分の嫌いな人が和気藹々としているのを見ると、ちょっと嫌な気分になった。
仕事でしかつきあいのない年長の人がはっちゃけているのを見ると、
見てはいけないものをみてしまったような気分になった。
twitterの発言が炎上しているシーンをみかけることも増えた。
なんだか、場所が「薄まった」ような感じがした。
「微妙に身近な人」や仕事関係の人から、フォロー申請が次々とやってきた。
なんだか「とにかく大量の人をフォローする人」も現れた。
彼女は、「IT業界で少しだけ有名な人」だったので、見知らぬ業界人からも申請がやってきた。
「目上の著名人」の人からも申請がきた。
フォロー申請は、マイミク申請より簡素で、自己紹介文もない。
知り合いなんだか知り合いじゃないんだか分からない人から、日々送られてくるフォロー申請。
断るに断れないけど許可したくないけどやっぱり拒否しがたい相手からのフォロー申請。
覗きに行ってみると、「○○ちゃんにフォロー申請したけど、許可されないよぅ」とのぼやき。
「やっぱりここもこうなったのか」とため息ひとつ。
彼女はとりあえず様子をみようと思った
彼女の友人も、似たような境遇だった。
友人は、アカウントを増やし、広報用のアカウントと、公での絡み用のアカウントと、
今までどおりのクローズドのアカウントを使い分けることにした。
でも、だんだんと、一般公開用の発言ばかりになっていった。
それは、これまでの発言と違い、「化粧された発言」ばかり。
歯に衣着せぬ愚痴りあいはもうできなくなった。
その友人との絡みが、よそよそしいものになったように感じた。
” —ある女の「twitter疲れ」(増田風) - 荻上式BLOG (via igi) (via hazime1373) (via fukumatsu)「卒後教育」の主体は学校ではない。本人である。
これは「自己教育」なのである。
けれども、この自己教育が発動するためには、「自分はいったいこの学校で何を習ったのかがよくわからない」という「謎」が必須なのである。
学んでいるとき、学び終えたときに、自分が何を学んでいるのかを学んでいる側が熟知しているような教育課程では「謎」が生じない。
謎が生じるためには、そこに必ず「求めている以上のもの」「求めている以外のもの」がなければならない。
それが何かを理解するためには、人を愛し、憎み、人を信じ、裏切られ、ものを創り出し、破壊し・・・という長い歳月と経験が必要な、そのような「謎」が学校教育の本質をなしている。” —教育=贈与論 (内田樹の研究室) (via ngm) (via usaginobike)
ウーロン茶が痩せるとか、痩せる野草とか通販でよく聞くが、たぶんないと思う。
人類が痩せたいって思ったのはたぶんこの40年ぐらいで(しかも一部の地域だけ)、それまでの数十万年はずっと食べものがなくてできれば太りたいと願っていたと思う。
これまでの人類の叡智が薬になっているとしたら、痩せる薬なんてたぶんない。
” —webやぎの目 - 痩せる薬 (via kogumarecord) (via miniatures) (via takaakik) (via otsune) (via tez600)心の内と外側の世界は、案外簡単には行き来できないんです。殻に閉じこもって、自分の内側にイメージというものをずーっと溜めている、それが普通の人なんです。
原研哉/阿部雅世『なぜデザインなのか。』
” —頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない:DESIGN IT! w/LOVE (via plasticdreams)2007-12-18 (via gkojay) (via kondot) (via nemoi) (via usaginobike)
キルケゴールに言わせると、現代は情報過多というより分別過多なのだ。物を知りすぎて、わかったつもりで、考えてしまうから手が出ない。先進国で晩婚化がすすむ原因もここにあるのかもしれない。相手のことや未来のことを考え始めたらきりがない。情報と分別があるとき、人は見る前に跳べなくなる。
「現代は平均しておそらく過去のどの世代よりも物知りだといえるだろう。しかし現代には情熱がない。だれもがたくさんのことを知っている。どの道を行くべきか。行ける道がどれだけあるか、われわれはみんな知っている。だが、だれひとり行こうとはしない。もしだれかがついに自分自身のなかにある反省に打ちかって行動に出る人があったとしたら、その瞬間に無数の反省が外部からその人間に向かって抵抗することだろう。もっとよく考えてみようではないかという提案だけが、燃えあがる感激をもって迎えられ、行動は無感動をもって遇せられるからである。」
「もっとよく考えてみよう」は、ある意味では、分別財、検討財とでも呼べるようなビジネス書の市場を形成している。ビジネス書の大半は読まれて検討されるだけで実践されない。検索エンジンもまたその延長といえる。多くのページがヒットするがほとんど読まれない。グーグルのなかでぐるぐる逡巡するのが現代であり、それを見通したグーグルは時代の勝者なのだ。
” —現代の批判―他1篇 - 情報考学 Passion For The Future (via yellowblog) (via nemoi) (via proto-jp) (via yaruo) (via kml) (via funkfumi) (via simoomwave) (via amaisaeta) (via nakano)
(via gekitetz)
(via tatsuhico) (via uessai-text)
(via hustler4life) (via budda)
(via otsune) (via konishiroku) (via michi66f) (via 46252)
それが原因で学校の連中に「prn(印刷物を意味するprintからきた侮蔑する言葉)」とあだ名を付けられたんだが
ビルゲイツはいい年になった今でも当時のあだ名をひどく嫌っているらしく
windowsで新しいフォルダを作るときに「prn」という名前を付けられないようにした” —
ビルゲイツの学生時代のあだ名 : 2chコピペ保存道場 (via vampir) (via isopan)
たしかに「prn」って名前付けられない。
(via loopdrive) (via mxcxrxjapan) (via nakano)
(via yoppa)
駿台偏差値70台の理系の奴が言ってたけど、超自信たっぷりに勉強すればいいらしい。
征服するイメージらしい” —デジタルニューススレッド : 国公立大学受かる奴ってどれらいすごいんだ… (via tanisawa) (via usaginobike)
教育の「謎」は「どうしてこの人は私にこのようなものを贈与するのか?」という問いのかたちで構造化されている。
もし、その贈与が対価とつりあうものであれば、それはすこしも「謎」ではない。
なるほど、私がこれだけのものを支払ったのだから、これが手渡されたのだなということに納得がいけば、それは「謎」ではない。
それはただの等価交換である。
等価交換をどれほど積み重ねても人は成熟しない。
「私が今使っている価値の度量衡では計測できない価値」について知りたいと思うことはない。
私たちは、「それが何を意味するのかが、今の私には理解できない贈り物」が手渡されたときにのみ、その意味を解明するためには「成熟しなければならない」と思い始める。
教育はだから「教える側がまず贈り物をする」ところからしか始まらない。” —教育=贈与論 (内田樹の研究室) (via ishizawa02) (via nakano) (via perrier) (via usaginobike)
結婚に関しては 迷ったらやめとけ が正解” —結婚・恋愛ニュースぷらす:これから結婚する若者に既婚男性らしい助言をするスレ (via shibata616) (via magao) (via fukumatsu) (via yaruo) (via appbank) (via usaginobike)